大東流の名が伝書に初めて現われるのは清和天皇時代(九世紀中~後期)。清和源氏に代々伝わり、新羅三郎源義光の代に完成されたと言われています。義光公は賊兵の死体を解剖して、その骨格から逆極め手の技や、当て身・殺法の術を研究。また、女郎グモが巣の上で獲物を雁字がらめにする手練の技にヒントを得て、「合気」を体得したとも伝えられています。その後、子孫が甲斐武田に住み、武田姓を名乗るようになった後も家伝の武芸として伝えられ、天正二年(1574)に武田国継が会津に下った後は、会津藩の「御止め技」すなわち門外不出の秘伝技となりました。

大東流大武館ホームページによる
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